増山たづ子さんの写真展を見て

IZU PHOTO MUSEUMで開催された展覧会について。
増山たづ子 すべて写真になる日まで」(2013.10/6~2014.3/2)

何枚か特に印象に残った写真と、展示方法による良い印象というか気付きがあった。
村の先祖の墓石にさらしを巻いて、壊されてダムになる村の様子を見せないように目隠ししているという事を伝える一枚の写真が最も印象に残った。
遠景に更地になろうとしている村、近景にさらしが巻かれた墓石。
たづ子さんは墓石が村を見ているように、墓石の後ろ姿を写すように撮っている。
墓石に巻かれたさらしが目隠しのためだということは添えられた言葉によって明らかになる。
この写真と言葉を目の当たりにして、私はちょっと的外れな事を考え込んでしまったかもしれない。
土地とは先祖のものだったのか・・・・・
目隠しをしたのは先祖に申し訳ないことをしているという自覚があったからである。
こういう思考を日本で保ち続けることが今でもできるだろうか。
その尊さにショックを受けた。
そういえば日本にもトーテミズムがあったのだ。もう無いかもしれないが。

写真の他に、アルバムや映像資料なども展示されていた。
目に留まったのは手紙と押し花、そして同じ部屋に展示されていた花の写真群である。
写真は徳山村に咲いた花を自然種園芸種問わず淡々と写したもので小さなプリントだった。L版だったかな。
その植物の全体が写るように目線の高さから眺めるような構図である。たづ子さんの視界に近いものであろう。
(私も植物はそうして撮るのが良いと思っている。これについては長い時間をかけて作品としてみせるつもりである。)
その展示の近くの机の上に、たづ子さんが移住した後の村民に送った徳山村から採ってきた菊などの花の押し花が展示してあった。
そして一筆、これは徳山村の花です。この香りが届くように。という趣旨の言葉が書かれた手紙もあった。押し花と共におくられたものである。
たづ子さんの徳山村の写真とはこういうものだったのではないか。
つまり、たづ子さんの写真は押し花をそえた手紙のようなものである。
徳山村の一部を物体として残してどうしてもとっておきたいという切ない所有欲と、
それを仲間にプレゼントして共有したいというサービス精神の賜物が彼女の写真であり、
主に写真というメディアを選択した理由になるのではなかろうか。

まだ全然うまく言葉にできないことがもどかしいが、この感じを溜め込んでゆっくり昇華できたら嬉しい。
以前から増山たづ子さんの活動と写真に強い関心を持っていたが、
この展覧会を見て私の心と作品はたいへん豊かなものになったと思う。感謝している。