桜を写した写真は風景写真になる。
風景とはその名の通り「そんな風な」景観だと思う事がある。
心のありようが風景に感情をしみ込ませる。
今年も桜が多くを背負って咲いて散る。
梶井じゃないが、近年はあまり桜の花をいい気分で見られていない。
風景ではなく、桜の花を本当に見るためには、
山間の雑木の中に静かに咲く桜の樹に出会わなければならないだろう。
花見の桜は重すぎる。

増山たづ子の記録写真について

好きな写真家の話

増山たづ子(1917年(大正6年) - 2006年(平成18年)3月7日)
60歳を過ぎてから意欲的に写真を撮り始めたアマチュアカメラマンで、出身地である岐阜県徳山村がダム建設によって沈むことを知り、徳山村の記録をはじめる。
もちろんダム建設には反対していたが「国がやろうと思うことは戦争もダムも必ずやるから、反対するのは大河に蟻がさからうようなもの」としてこの事実を受け止めた。
カメラ店に「素人の自分でも写せるカメラはないか」と相談したところ、「猫がけっとばしても写る」とピッカリコニカを勧められたという。

太平洋戦争で夫と弟を亡くしており、戦争の苦しみを生きた人でもある。
もしも夫が帰ってきた時、村がダムに沈んでしまっていたらどう話して良いのかわからない。
たづ子の記録は社会批判でも大文字のドキュメントでもなく、愛の所産であった。

彼女の記録写真からはその被写体に関わらず情が感じられる。
またたづ子の言葉によって写真が、記憶の断片、物語の場面として動き始める。
記録写真において情や物語の介入は否定されがちである。
しかし記録は意志によって行われる。その意志を持つのは情の通った人間である。

たづ子は、満開の桜がパワーショベルによってなぎ倒される様子に、若くして戦死した弟たちのことを重ねた。
そして桜の声を聞く。
「おばあちゃん、たすけてぇー」
「せめてもう少し待ってやってください。お願いします」
祈るようにカメラを構えたのは戦後約40年後の1985年4月25日のことであった。

たづ子はダム建設に沈む故郷の風景に自分の記憶を重ねていた。
写真と文章、音声によって記録された徳山村のダム建設から、我々はたづ子の愛の行為を媒介として、ある戦争の苦しみの記憶を辿ることができる。

展示終了。ありがとうございました。

ポートレイトの展示が終わりました。ご覧くださった方々、誠にありがとうございました。

この、日本の美大生達が自分の制作に没頭する季節になると自分の卒制のことを思い出しますね。
私の卒制は、今思うと大きな間違いをしていたと思います。
だから卒制デビューというわけに行かなかったわけです。笑

次は個展がやりたいな。
会場を植物の写真で埋め尽くすような個展がやりたい。

ポートレイトの写真展始まりました

ポートレイトのグループ展示に参加しています。
東京の武蔵小金井のギャラリーにて12月16日まで開催中です。
人を写した写真は、作品として発表したことがなくどうして良いのか分からず、
結局自分の写真を展示しています。
お近くにお越しの際はぜひ。

http://chateau2f.com/gallery/index.php?itemid=36

展示しております

3331 TRANS ARTS 展

2012.10.21(日)ー2012.12.02(日)
開場時間/12:00-19:00
会場/3331 Arts Chiyoda メインギャラリー
休場/毎週火曜日
入場料/大人800円/学生500円/中学生以下無料

特設サイトはこちらです。
http://ta.3331.jp/

私は「BIOART.JP」の一員として写真作品と3Dプリンターを使用した立体作品を展示しております。
よろしくお願いいたします。